ウィークエンドには仕事用のスーツも5センチ未満のパンプスもひたすら地味である事を美学とするメイクも全て捨て去ってボーナスで買ったゴージャスなワンピースドレスに身を包み15センチオーバーの超ハイヒールを履いてスクール時代の自由さでメイクを決めエスパータイプお断りのポスターが貼られたカジノで一週間溜め込んだストレスを発散する。それがが社会に出てから学んだ事であり、彼女にとって最も効果的な息抜きの方法である。
 そしてそれがルームシェアをしている友人には「負けて売られちゃう前にほどほどにしなよ」、と苦言を呈すさせるものであり、母親からは「破産してもいいけど代わりにいい男捕まえるんだよ」とほぼ無理な提言を受けるものである事も理解している。だがは覚悟が足りなかった。

 まさかルーレットもブラックジャックもクラップスもポーカーまでも、その全てが上手く行かない日があるなんて!

 これで通算10敗目。得意であったはずのダーツも見事なまでに黒星を飾り、は最後の砦が崩れる音を聞いた。
 ちなみに現在のの状況と言うのは、賭けを持ち出してきたナンパ男の話にシャンパンが良い具合に回っていた事もあり乗ってしまい、賭けの内容というのは一つ負ける毎に身に着けているものを一つずつ相手に渡す、というものであった。そして現在の身を守る最後の砦というのはドレス一枚。先ほどお気に入りだったビクトリアズ・シークレットのショーツも相手に投げつけてスカートの下は開放感に満ち溢れている。
 とナンパ男のやり取りを面白そうにずっと見守っていた他の客たちは興味津々、と顔に書いて2人の動向を見守る。

「約束だ。そのセクシーなドレスをオレによこすんだ」

 負けたショックが抜けきらない内にそのナンパ男がニヤニヤとを見て言った。「恥ずかしかったらオレと二人っきりの場所ででもいいんだぜ?」とまでのたまる始末だ。というか最初からそのつもりだったんだろお前、とはっきりと分かる程にはナンパ男は勝負中にも関わらずの肩や腕や腰にいやにベタベタと触れていた。そう考えるとなんだか最初にバーで飲んだシャンパンも怪しいものである。酒に強いとは言わないが弱くも無いがシャンパンの一杯や二杯でそう簡単に酔うはずが無い。高いシャンパンは味も違うのだな、と思って飲んでいたがアレはきっとウイスキーが少し混ざっていた。あの店員とナンパ男はグルか。こういうやり方で一人の女客をお持ち帰りか。

(ぜったい思い通りになんてさせない!!!!!)

 こちとらストレス解消のために赴いた場所で負けに負けを重ねてストレスがマックスなのだ。遊び男に捕まってこれ以上ストレスを加速させるなど言語道断!
 ガンッ! とは音を立てて椅子に足を乗せ、脱げコールの響くその場でドレスの裾に手をかけた。周りからの声が一層大きくなるが無視だ無視。予想外だったのか目を丸くしているナンパ男の顔を見たら少しは溜飲が下がった。脱いだらすぐに投げつけてあそこのテーブルクロスを巻きつけてダッシュ、と頭の中でシュミレートし裾を掴んだ手が太ももからヒップに引き上げられようとしたところで、大きな音がテーブルから鳴った。
 驚いて裾を離してしまい振り出しに戻ったドレスの丈を悔しそうに周りの男たちは見つめていたが、は音の鳴った方向に釘付けになった。
 チップが山のように重なっている。見たことも無いようなその山を構成する色は様々で、黒、紫、チョコレート色……には縁がないハイリミットセクション用のチップまで混ざっている。

「きみ、随分と調子が良いみたいだな。わたしも混ぜてくれないか?」



 状況がよく分からなかった。先ほどまでこの場の中心はだったはずだ。とナンパ男を中心に集まった人間はの一挙一動に目を取られ、大勢の人間に見られていたという自覚が無意識の内にをああも大胆な行動に移させた。(未遂に終わったが)
 だが今はどうだろう? 誰1人としての挙動を気にする人間はおらず、目の前の白熱した戦いを見守っている。配られたカードを見定め手札にしていく手さばき、少しでも気を抜くと観客でさえ飲み込まれてしまいそうな気迫、それでいてこのゲームの名前に相応しい表情を張り付かせる2人の男。と賭けをしていた男と、先ほど大量のチップを持ってその男に勝負を挑んできたレパルダスを想起させられる伊達男である。
 最低なナンパ男だとばかり思っていたがその実力は本物であったらしくはこの2人の戦いにただ舌を巻くばかりだ。先ほどから激しくチップがお互いを行き交いし、もう何がなんだかわからなくなってくる。どうもどちらも相手を素寒貧にしなければ気が済まないようで、一向に勝負が着かない。2人もそれが分かっているらしく、どちらからでもなく同時に己の今持つチップ、更に手持ちの財産全てをベットし周りが息を飲んだ。

「カワイコちゃん、これに勝ったらゴージャスなプレゼント送ってやるよ」
「え? あ、どうも」

 ウインクと共にナンパ男に肩を抱かれてはようやく先ほどの賭けがまだ終結していない事を思い出し、再びこの場を支配する空気のど真ん中に引っ張り込まれ周りから視線を受ける羽目になった。

「さて、これは中々に大勝負だ。女性の応援が必要だな。きみ、わたしが勝つ事を祈っていてくれ」
「え? あ、はい」

 伊達男に手を取られ手の甲にキスをされとろけるような笑顔でそう言われ思わずは頷いてしまった。なんだか肩に置かれた手に力が入ったような気がする。
 2人の間に火花が散っているのは見間違いでは無いのだろう。
 なんだこの状況?



 ――誰かが勝てば相手をした誰かが負ける。それは全ての勝負に通じる真実だ。
 ずっと見ていたいとまで思ってしまった勝負はついた。は知らず息を止めていた事に気付きほう、と息を吐きだした。

「敗北者にはなにも残らない……。……そんなことはないか、どんなことになって意味はある。負けを糧に強くなればいい。さて……」

 キリキザンのように鋭い瞳に捉えられてはドキリとした。一つの大きな場面の中心にいながらもどこか雲のような空気を醸し出し掴めずにいたこの男が自分を真正面から見据えてくるとは思っていなかったからだ。こちらを伺うような、しかしどこか絶対的な自信のあるビーコックブルーに吸い寄せられるようにも男を見つめてしまう。腰を引き寄せられて体重を預ける形になる。

「……彼女もきみの財産の1つであったね? 約束だ、頂いていこう」

 そこでようやくは先ほどから一言も発さないナンパ男に目をやった。紙一重の勝負に敗れた彼は天を仰いだまま動かない。何か声をかけるべきか逡巡している間には腰を引かれ首だけは振り返りながらその場を後にした。



 上に取ってあるというホテルのスイートルームの一室にホイホイとついて行き後ろでドアが閉まったところではハッとした。

(私なに簡単について来ちゃってんのッ!?)

 元の木阿弥である。相手が変わっただけで本質的に何も変わっちゃいなかった。
 そんなの様子を感じ取ったのか目の前の男はくすりと笑い、「ワインでも飲むかい? 中々良い銘柄が揃っている」と明かりを付けグラスの置いてあるテーブルへとを誘った。断り帰ろうかは迷ったが、男が積極的にを口説こうとしていない事に気付いたのと、「酔うのが怖いならシャンメリーでも頼もうか」という先ほどのナンパ男との一部始終を揶揄するような言葉にプライドが刺激されは注がれた赤を一気に飲み干し「もう1杯!」と声高に叫んだ。くっく、と鈴が鳴るように笑う男の声がなんだか無性に心地よく感じ、は男のグラスに同じようにワインを注いでやり乾杯をした。

「ところでこれはわたしには必要の無いものなんだが、良ければきみが持っていてくれないか」

 ヴィンテージもののワインを一本空にしたところで(後から銘柄を見ては目が飛び出すかと思った)男はテーブルにいくつかの物を置き、は驚いてそれを見た。それはナンパ男との勝負で取り上げられてしまっていた時計やネックレスといった貴重品であった。ネックレスに至っては祖母からプレゼントされた思い入れの深いものであり、がナンパ男の誘いに乗りたくなかった理由の1つにネックレスを取られてしまった事と、その原因を自分が作ってしまっていたことへの自己嫌悪も含まれていた。それがこんな形で帰ってくるとは思っていなかった。とてギャンブラーの端くれ、実力不足で敗北し手放した賞品を個人的な思い入れのため温情をかけてもらい不渡しにすることは出来なかったからだ。

「そんな、でも……」
「言っただろう? わたしが持っていても仕方が無いんだよ。それに、ほら。きみが着けている方が断然輝きが違う」

 時計やブレスレットを手際良くの手首に巻きながら男は言い、はこの体の火照りはワインのものかまたは別の何かが理由なのかの判断が付かなかった。男がの後ろに周り、は自然と髪を持ち上げネックレスをつけやすいように動いていた。男の少し冷たい指が首筋に当たる度に体がビクンと反応してしまう。それが恥ずかしく、誤魔化すようには「そ、そういえば貴方と彼ってどんな関係?」と口を開いていた。ほとんど勘に近かったが、あのナンパ男とこのレパルダス然とした男は初対面では無いような気がした。一瞬後ろから驚いたような間があり、しかしそれを感じさせないような穏やかな口調で男は「ライバル、みたいなものさ」と答えた。
 ライバル、Rival、――好敵手。なんとなく後ろの男からはそんな相手はいないような気がしていたが、確かに2人の実力はほぼ互角のようにも見えた。には分からない領域であるが、高い実力を持ちすぎていると拮抗する相手を求めるものなのだろうか。

「スリルというのは精神を研ぎ澄ませてくれる……わたしはそう考えている。よし、留まった。似合うよ」

 するりと後ろから離れて行ってしまった男になにか物寂しさを感じ、は無意識に自分の首筋を撫でる。どこまでも紳士な男だ。あの勝負の時のような苛烈さは鳴りを潜めてしまっている。あの常に熱を振りまいていたナンパ男とは大違いだ。
 ――けれども。もう一度、見てみたい……。
 はあのぬらりと蠢く炎のような勢いを見てしまっているのだ。まだそれを知らなかったならばここで帰るという選択肢も選べた。だがあるものを無いことには出来はしない。見たい、見たい。この男がどんな顔をして、どんな声で、どんな事をするのか――。

「ふふ、なら私は思わぬ副産物みたいなもの?」
「そうだな。1人酒は淋しいと思っていたから丁度良い話し相手が出来たと喜んでいたところさ」

 「きみは中々に面白い女性のようだしね」、と言う男の言葉が何を指しているのか一瞬分からなかったが、がドレスを脱ぎ捨てようとしていた事だと思い当たると途端に恥ずかしくなりワインを一口飲み笑う男の視線から逃げた。

「あれは……ちょっと……たまに自分でもどうかと思うくらい大胆なことをやらかすことがあって……」

 言い訳をしている内に顔が火照っているのが自分でも分かったのでそれを誤魔化すために立ち上がり窓へと近付く。最上階に近いだけあって街の光は遠く、美しい粒が下に広がる。中々珍しい光景にが一瞬状況を忘れ見蕩れていると、すとん、と何かが落ちた音がした。床を見ると留め具が緩くなっていたのか、先ほど付けてもらったばかりのネックレスが落ちていた。あ、と思い拾おうとするが先を越され、今度は男の手によって髪が退けられ、いつの間にか再び首筋を晒していた。

「――きみはいい勝負師の条件を知っているか?」

 煩い心臓の音が聞こえていないことを祈りながら、物凄く近くに感じる男の質問に首を振る。

「勝利を得て自慢するでもなく、敗れて取り乱すでもなく……ただ次の勝利を求める者が、そう称される」

 勝利。この場での勝利とは一体、何だ?
 視線が交わう。
 気付いた時には夢中で唇を貪り合っていた。甘い、ひたすらに甘い。重量感のある、それなのにエレガントなヴィンテージワインは渋みのあるものだったのに、どうしてこんなに甘いのか。2人の間にある何もかもが邪魔で、それでも服を脱ぐのさえも億劫で、酸素が薄く朦朧とする意識の中でなんとか床の絨毯の上では無くベッドの上へと倒れ込む。
 捨てるようにヒールを脱ぎ落とし、気遣う余裕も無く腕に爪を立て、素肌に触れられ肌が粟立つ。

「どうして下着を着けていない? スケベな女だな」
「ぁん、……っスカートの中に何も着けないでいるスリル、貴方はまだ知らないの?」

 辛うじて残っていた理性でそう言い放つと男は楽しそうに目を細め赤い舌で唇を舐める。耳の裏から首筋を乱暴に喰まれの口は言葉にはならない声を上げる。青い瞳の奥に赤い光が見えた気がした。――ああ、あの時と同じ炎が灯っている。熱くて、暗くて、でもどこか甘い苛烈な炎。



 は焦っていた。ホテルマンがルームサービスの朝食を持ってきた時初めては男の名前を知り、そしてその素性に表にはなんとか出さなかったもののビビりまくっていた。
 イッシュ地方のチャンピオン、その次に強いとされる4人のトレーナー。男は正にその中の1人、悪タイプ使いのギーマその人であった。
 確かになんだか見覚えがあるような気がしていたが、まさかこんな大物だとは思っていなかった。いくらがポケモンバトルに興味が無いのだとしても、ギーマがあまり露出をしない人だとしても、気付かなかったなんて不注意にも程がある。気付くチャンスなんていつでもあった。快楽に身を任せた結果がこれである。

(私は息抜きがしたかっただけでこんな大物とスリリングな恋がしたいわけじゃないんだ!)

 の心は決まっていた。となれば後は簡単、はギーマがバスルームで身支度をしている間に部屋を抜け出した。



「朝帰りおかえりなさい」
「たっただいま」

 急いで出てきたのでパンツを探すヒマが無かった。お気に入りだったビクトリアズ・シークレットの黒レースは泣く泣く諦め細心の注意を払いドレスがめくれ上がらないようにしようやく我が家へ帰ってきたところで歯を磨いているルームメイトと遭遇した。なんだか安心して一気に力が抜けた。の日常はパンツ姿で新聞をポストへ取りに行くおっさんが珍しくないような住宅街で友人と折半をしながら住んでいて、コーヒーが薄すぎると安物のコーヒーメーカーに文句を付けながら朝のニュースを他人事のように見ている、そんなどこにでもあるような風景の事を言う。決して高級ホテルのスイートでイッシュ屈指の実力を持つトレーナーと高級ワインを飲んでそのまま一晩を共にしホテルマンに畏まられるようなそんなものではない。これでよかったのだ。名前は告げていないし、きっと彼にとっても数ある出会いの中の1つに過ぎない。すぐにゴージャスな巨乳美女が現れてとの一晩など忘れていくだろう。

「よくないでしょ」
「だっ!」

 だがから無理矢理昨晩の出来事を聞き出した友人の見解は違ったようでは眉間の間を思い切り突かれた。

「もったいない! 折角有名人とお近づきになれたのに、なんであんたってそう欲がないって言うか」
「うぇ〜、私そんなミーハーじゃないし〜……」

 だからこそ逃げてきてしまったのだ。にとってあちらの空気はあくまで非現実的だからこそストレス解消に成りうる。近付きすぎて日常になってしまったならばそれはもう現実逃避では無くなってしまう。テレビを見つつシリアルとバニラアイスを食べながらそう伝えると友人はふーん、と一応は納得したようだった。ドレスも高いヒールも派手なメイクもにとっては非日常の舞台装置であると知っているからだ。が安心出来るのはTシャツにハーフパンツ、今正にこの瞬間着ているこの姿だ。シャワーを浴び終えた時に脱衣所に友人が置いておいてくれたのだ。こんな時長い付き合いの友人の存在はありがたい。
 ペロリと食べ終えたところで違う方向へ関心が行ったのか、友人がニヤニヤと興味津々に体を寄せてきた。

「ちなみに四天王のテクはどうだったの」
「超気持ちよかった」

 きゃー! と女2人で笑い合いソファから転がり落ちる。暫くそうしてじゃれていたがそろそろ出なくてはいけない。は地味なスーツに着替え、友人に見送られ出勤した。



「オレが欲しいのはあそこにいる姉ちゃんの服が透けるようなメガネだな〜」

 果てろエロ親父!!!! と思ってることなど微塵も見せず、は業務用の笑顔を崩さずに客の対応をする。の務めるメガネショップは立地条件が良いということで客入りが悪くないのだが、その結果こうした困ったさんが来る確立も哀しいかな上昇してしまうのであった。そしてスルースキルの高いがそうした客に宛てがわれる事が多く、その結果重宝はされているがのストレスも大きい。その結果週末にカジノという刺激のある場所がストレスとおさらばをする装置として選ばれてしまっているわけであるが、単純にの嗜好でもあるので職場のせいとは言えないだろう。

「もっと色気のある姉ちゃんはここにいないのかよ?」

 視力や諸々の測定をしながらもそう言ってくるがの心は既に色即是空、そんな戯言など心に響かない。

「何を仰りますのお客サマ私みたいなボインボインは他にいませんヨー」
「ははは、姉ちゃんおもしれえな」
「うふふ光栄です。さっ検眼終了したので次はあちらでフレーム選びですよ!」

 とセクハラ客を違う測定所へ案内する途中では上司に呼び止められた。

、その方は私が代わるから他のお客さんをお願い」
「え? 珍しいですね途中で担当が代わるなんて」
をご指名なのよ」

 へ? と間抜けな声を出してしまった。この店いつからそんなシステムだったかな、と思いつつも上司の示す方角へ顔を向けると、そこにいたのはやけに見覚えのある、というか今朝まで見ていた――

「――っな」
「大声出さない!!」
「うごあっ!」

 まだ出してない。



 有名人の来店の際に上司からの愛のムチ(という名の教育的指導)を承ったは身を縮こませながらなんとか視線を合わせないように努めて通常業務を行おうとしたが、なんだかものすごい視線を感じているような気がしてというか検査するのに目を合わせないのはやはり不可能であり顔を上げ視線を合わせると何とも罪作りな眼差しでこちらを見ていたものだからまだ真新しい記憶が次々と蘇ってきて1人心の中で悶える羽目になった。
 それでも目の前の男、四天王のギーマはあの場での出来事を匂わせることは何も言わない。ただ単純にメガネを作りに来た客として振舞っている。しかしその瞳の、なんと雄弁なことか。

(な、なに、この羞恥プレイ!?)

 何が目的だ? と訝しみつつも必要な項目を書類に書き込んでもらいそれを受け取る際、「忘れ物だよシンデレラ」と言われ手の中に何かが握り込まされそれを見るとなんということでしょうそれはが財布の中身を確認するヒマも無いくらいデザインに一目惚れしレジカウンターに一直線した愛用のブランドのショーツ。今朝ホテルで見つからず断腸の思いで置き去りにしてきたあの黒レースである。こちらに気付いていない奇跡が確立として残っていることを信じていたはあえなく撃沈した。

「……どうしてここが?」
「偶然、きみのトレーナーカードを目にしていた」

 トレーナーカードは言ってしまえば身分証だ。住所、氏名、年齢、バッジの数、本人にしか見れないが口座残高すらも確認できる。電子化したキャッシュでファイトマネーのやりとりをするものでもあるしそのままショッピングにも使える。だからこそこの社会でトレーナーカードの存在は必要不可欠なものであるし、肌身離さず持っていなければならない最重要物品だ。それをはあの日あのナンパ男に投げつけたポーチの中に入れていた。さすがにトレーナーカードを賭けの対象とするのはいろいろな面で面倒なことになるので表立っては行われていないし、あのナンパ男もある程度の倫理観は持っているように見えた。が、はその大事な存在を失念していた。そしてそれをへ取り返してくれたのはこの目の前にいる男なのである。ならば偶然、ポーチの中の、カード入れに入った、パスワードでロックされていたトレーナーカードの情報を見ていたとしてもおかしくは、無い。……。無いか?

「あー、偶然。偶然なら仕方ないですね」
「そしてそれがこの再会に繋がったのならば、我々はその偶然に感謝しなくてはな」
「そうですね! 偶然サイコー!」

 最低である。何故今が顔を合わせたく無いランキング堂々一位に輝いている男とこんな向かい合って(診察中であるから)目と目で見つめあい(診察中であるから)手を握られ(診察中で……関係ないよね!?)なければならないのか。そして何故私は頬に熱が集まっている様子を感じているのだろう。



 いつから私はこんなに流されやすい人間になったのだろうか。

「やっ、駄目駄目エッチ、あっ、ッ!」
「ストイックなスーツだ。だがあの肌が包まれていると思うと中々にそそるものだな。もしかしてそれが目的なのかい?」

 だとしたら君は怖いな、と囁かれ怖いのはお前の手の速さだとは思わず言いかけるもその言葉は喘ぎ声の中に消えていった。分かっちゃいたがこの男マジで半端無い。
 目の検診が終わり帰り際に連絡先をスカートのポケットに捻じ込まれた日から数日、暫く仕事詰めでそちらへは行けないので出来上がった眼鏡をリーグまで届けてくれ、チップは弾むのでと連絡があったのは今日の昼、丁度手の空いたへそのお鉢が回ってきたのは2時間前(一度拒否をしたがそのまま直帰して良いからと問答無用で送り出された)、チャレンジャーの相手をしていた四天王ギーマがバトルを終え品物を渡したのが30分前、今日はわたしももう終わりだから送っていくよと言われ断ったが言葉巧みに丸め込まれたのが20分前、そして人気のない公園でとても自然な流れでキスを交わしたのが5分前。どうしてこうなった。人目につかない場所にある木に背中を預けて服の中を弄られているなんてこんな予定私今日は無かったはずなのに。

「何か言いたいことがあるのかな?」
「う……ううぅー……!」

 わざとの『良い場所』を外してこんな事を言う男なのだ。意地悪で卑怯で、それなのにものすごくセクシーな男。

「こ……っ、こんな場所じゃやだぁ……」

 腰をガタガタにさせながらが絞り出せた言葉はそれだった。



「男のストリップを見に行く! も来い!」
「!? 私のいない間に何があった!?」
「あっこの野郎朝はなかったキスマークつけてやがる!!!」
「ぎゃああああああ!!!」

 一日の仕事も終わり帰宅するやいなや荒れに荒れたルームメイトに押し倒されるような形でスーツを剥がれはあれよあれよという間に服をカジュアルなものへと着替えさせられストリップバーへ連れていかれルームメイトが今日酷いセクハラを上司に受けたことや後輩の惚気が本気で鬱陶しいことや仕事でのミス etc...、色々とぶちまけてすっきりとした顔をしたルームメイトが男性ストリッパーの襟にチップを捻じ込みへと向き直った。

「連絡取り合ってんの?」

 思わず口に含んでいたビールを吹き出しかけた。話のクッションも何もあったもんじゃない。もしかしたら最初からそれが目的だったのか? と疑ってしまうほどのストレートボールだった。

「……め、メールだけ。ライブキャスターの番号は教えてないし……」
「で?」

 ひしひしと伝わるプレッシャーには挫けそうになる。

「食事も……うん、何回か〜……うん、数えるくらいだけ……うん」
「美味しいもの食べて? 切れのあるトークを聞いて? それだけで朝帰り?」
「うぐう」

 状況証拠を掴まれている時点でが言い逃れ出来るはずもなかった。

「なにそれで付き合ってないつもりなんだ! あっきれた」
「それはあっちも同じでしょ……都合の良いセフレだよ多分」
「セフレに態々プレゼント送ったり花にメッセージ添えたりするかねぇ」
「え、しないの?」
「あたしセフレいたことないから分かんないけどさ。何がダメなの?」

 確かに、とは自分に問いかける。何が駄目なのだ? 意地悪だが優しい、からかわれることも多いがこちらを尊重してくれる、冷たいと思いきや熱くって、熱すぎると思っていたらヒヤリとしたものをその身に隠している。ドキドキさせてくれる、わくわくさせてくれる、何度もデート紛いの事を繰り返し恋人のような事をしている。きっと愛されている、そしても恐らくは愛に近いものを抱いている。それなのに一線を越え、『愛』にしないのは何故?
 ――きっとそれは、の中で答えが出ている。



「わたしの事が好きだろう?」
「……好きじゃない! っあん、そこ好き気持ちいっ……」
「体はこんなに素直なのに」

 何かを言っているがあーあー私には何も聞こえないー。私は悪くない私が快楽に弱いんじゃなくてこの人のテクニックがマスタークラスすぎるのだなので私の意思に反して足が彼の腰に巻きつくのもその技術の為せる業。プロのギャンブラーって怖い。
 何度も体を重ねているのでの弱いところなど知り尽くした手がを責め立てる。本日の営みがいつもとは少し雰囲気が違うことはも気付いている。そしてそれはここにきて初めてギーマがへ言葉としてパートナーになってくれ、という旨を申し出たのをが「無理です」と断ったのが発端だ。遠回しに伝えられた愛の言葉は想像以上にこそばゆく、そしてこの人の性格そのままだなと思わず笑ってしまったものだったが、まさかギーマもの口から「NO」が出るとは思っていなかったのだろう。

「君のために眼鏡男子になったのに酷い子だな」
「ええーっ私のため?」
「実用も兼ねているが」
「うん検査じゃちょっと悪かったですもんねぇ。……あ、でもこの眼光、眼鏡越しだとちょっとは和らぐ…………あっ」
「思い出してくれたかな」


〜回想〜

「きみの肌が綺麗だった。だからあんな大勢に見せるのはもったいないだろう?」

 バスルームでの2回戦も無事に終了しシーツに包まれながら気怠げな空気を纏いながら口を開いた男に、この男はこんな時でもセクシーでとても困ってしまう、と思いながらは髪をといていたコームをナイトテーブルに置いた。
 それだけがあんな大量のチップを賭けに出す理由では無いと分かっていたが、やはりそう言われるとむず痒くも嬉しいものだった。シャワーも浴びたので帰ろうとも思っていたが引き止められベッドに引っ張り込まれ、まあ明日は遅番だから良いか、とそのまま同衾することにした。普段はこんなこと滅多にしないんだけどな、と思いつつもこんなに刺激的で楽しいことは久しぶりだったので満更でも無いである。間近で目が合い、やはりなんて綺麗な目なんだと見蕩れてしまう。

「……セクシーな目。地味なメガネで隠した方がいい、凶悪すぎて捕まっちゃう」

 ならば良いものを見繕わなくてはな、と眠気からか色気に充てられてかとろんとしているとキスを交わしながら男は笑いながら言うのであった。

〜回想終わり〜


「あ〜……」
「次の朝いつの間にか君は下着を残して消えているしどこのシンデレラ嬢かと思ったよ」
「あぁ〜……」

 ベッドの枕で顔を隠すもわずか1秒足らずでその防御は崩された。代わりに降ってきたバードキスを受け入れながらも、鷲掴みされている胸から男の手を外す。

「君の心臓をわたしにはくれないのかな」
「心臓を所望する王子様とか怖すぎです。というか心臓っていう触り方じゃないし……」
「素直に胸は弱いからキスの間は触らないで欲しいと言うと良いよ」
「ぬあっ!」
「君はいつもそうだ」
「? なに……」
「弱いところ……『良すぎて弱いところ』を避ける」
「え、なに、セクハラ?」
「セックスだけに限らないな。食事でも、会話の中でも、……勝負でさえ、最善手というものを取らない」
「……」

 は固まった。思いがけない言葉をかけたれた、――だがそれが身に覚えのある事であったからだ。
 ――は勝ちはするけど大勝はしないよね。というのが友人から受けるのギャンブラーとしての評価だ。
 ――とのバトルは途中まで楽しいのに最後はなんでか拍子抜けしちゃう。と過去に何度も言われたことがある。

「意識的か無意識かは分からないが、何かを恐れている。そしてそれは、」
「”その先の景色を恐れているから”」

 無言でギーマとは見つめ合った。もう二人の間にあるのは情事の空気ではない。は乱れた服を簡単に直して起き上がった。

「私、好きなものにはとことん入れ込んじゃうタイプなんですよ」
「うん」
「だから昔はそれで男の子に重いって振られるし、ポケモンは構い過ぎてストレスで円形ハゲ作っちゃうし、こりゃ不味いなぁ〜って途中で気付いて自重してたんです」
「続けて」
「だからカジノでストレス発散するの親も友達も最初は反対してて……好きになって入れ込み過ぎていつか破産するんじゃないかって心配だったみたいで。でも私がカジノ大好き! 勝負楽しい! ってなってるのにちゃんと自重出来てるのを見て、渋々だけど許してくれて。私も上手くいってるなぁ、勝負は途中でやめちゃうから大勝はしないけど大負けもしないし、ポケモンにハゲを作ることもなくなったし、ポケモン勝負で相手を大負けさせて泣かせたりしなくなったし。……あ、だから今じゃ勝負めっちゃ弱いんですけどね」
「うん」
「セーブを上手くかけてたのに、それを崩されたのって……ギーマと出会った日に大負けしてたじゃないですか、あれが原因じゃないかって思うんですよね〜」
「ふむ、確かに彼は君がセーブをかけようがかけまいが生殺与奪の権を握れる実力の持ち主だったな」
「普段はディーラーとしかしてないのに、なぁんで勝負受けちゃったんだろ……あ、酔ってたからか。まぁとにかく、あれで私変にリミッター外れちゃったんですよね」
「服を脱ごうとしていたしな」
「あの節はどうもお世話に……だから私があの日ギーマとやっちゃったのもそのリミッターが外れてたからだと思うんだよ。私基本流されやすいし気持ちいいこと好きだし」
「それで朝になって我に返った、ということか」
「簡単に言うとそういう事です」
「極端から極端へ走る子だな本当に」
「はは……」

 自覚はある。だから……だから、諦めてくれないだろうか。今ならまだ日常に戻れる。有名人との一瞬の火遊びだったのだと自分を納得させられる。そんなの表情を読み取ったのか、ギーマはやれやれ、と言った表情で「わたしの話も聞いて貰おうか」、と口にした。

「わたしはギャンブラーだ」
「はあ、存じております」
「いいや分かっていない。君が思う以上にわたしは日常的に物事を賭けの対象にしている。一種の職業病とでも思ってくれ」
「へえ、ある意味病的ですね……あっすいませんすいません」
「いい勝負師の条件、というのを話したのを覚えているかい?」
「えーっと、勝負に勝っても負けても次の勝利をもぎ取りに行く……」
「そうだ。それは恋愛面でもそれは言えるのだよ」
「お、おお……」
「君との一夜は楽しかった。それだけならば、それだけで終わっていたんだよ。君はわたしの前から消えたわけだしね。だが君は中々に思いがけない落し物をしていった。わたしは何度も君に賭けた。店に君はいたし、わたしの担当を受けてくれたし、指名していないのに君はリーグへ眼鏡を届けてくれたし、連絡も無視しなかった。誘いに応じてくれた。わたしは何度も賭けに勝ってる。一度でも負けたら大人しく君から手を引こうと思っていた。だがどうだ? 結果は今のこの状況さ。君はわたしの腕の中で可愛く鳴いてくれている」
「良いカモネギだ!!」
「くく……そうとも言う。君からもぎ取る勝利は、とても甘く、……癖になる」
「わ、私を口説いてますね!?」
「そりゃそうさ。先ほど君から熱烈な告白を貰った身としては、それに応えなくては男として廃る」
「愛の告白!?」
「そう。君の特性は愛情離反――『あなたのことは諦めます。なぜならあなたを本気で愛しているから』」
「…………………………」

 ということはは己の特性をこのやけに頭の切れるギャンブル中毒者ギーマに知られた時点で己の心の内をさらけ出したも同然ということだ。なんだそれは滅茶苦茶恥ずかしい。

「そしてわたしは欲深くもある。己を愛していると叫ぶ女がずっと欲しくて欲しくて堪らない」
「わ、我儘……!」
「わたしなんて可愛いものさ。君に比べたらね」

 。と呼ばれる。

「わたしのことが嫌いだろう?」
「……NO」
「わたしのことを愛していない?」
「NO」
「キスを、して欲しくないだろう?」
「NO!」

 ほら、君は我儘だ。
 溺れそうなキスを全身で受けて、はまた一つ、ギーマとの賭けに負けた。


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