マツバが怖いと言うと、だれひとりとしてそれに同意してくれる人はいない。 あんなに優しくてかっこいい人が怖いなんて目がおかしいよ! 確かに物憂げな時があるけど、それすらもたまらない! と決まって友達は言う。正直この多くの若い女の子の中にあるマツバ信仰、というのだろうか、まるでアイドルに心酔するファンのような熱狂的な様子を目の当たりにすると引いてしまうというか、誰の話をしているの? という風になる。 だって、私の知るマツバは優しいなんてものではなく、もし私がなにかに失敗でもしようものならばすごく馬鹿にして説教してくるし口煩いし、ホウオウにしか興味がないし、それなのにミナキとどっこいなポケモン厨だと言うと怒るし、一回もバトルで勝ったことないし。 それなのに私ではない人が相手だと私が見たことないくらい愛想よくなって、一時期嫌われているんじゃないかて疑ったくらいだ。でも嫌われているわけではないというけとは、なんだかんだで一定の付き合いがあるからわかっている。マツバはああ見えて結構好き嫌いがはっきりしているから、もし嫌われているんだとしたらいくら近所の付き合いだからってとっくの昔に絶縁状態だ。 嫌いではないけど怖い。これが私のマツバに対する昔からの見解だ。会えば話すし、ミナキを交えて旅とまではいかない遠出をしたこともある。それでも私のこの気持ちが変わることは無かった。 私はマツバが怖い。 また違う女の子だ。 前の子は結構長続きしたな。と私は野次馬根性もいいところでジムの前でマツバを待っている女の子を通り過ぎ様に不躾にならない程度に観察する。髪の長い女の子だ。この前までは短い子ばかりと付き合っていたのに、好みが変わったのだろうか。それにこれからデートなのか、可愛い格好をしている。近所のコンビニに行くからといってそのへんにあった服を適当に引っ掛けてきた私とは大違い。 なんだか居たたまれなくなって、足早にジムから遠ざかる。 なんだかもう、アイスなんて気分じゃないなあ。 ミナキから久しぶりに一緒に飲まないか? という連絡を受けて居酒屋へ行くと先にミナキとマツバが飲み始めていた。マツバも来るって一言も聞いてないんですけど。ずっと突っ立ってるわけにもいかないので寄って来た店員さんにあの人たちの連れですと伝えてその場所へ行った。「よう君」「久しぶりだねちょっと太った?」「私がこの間見たスイクンの話を聞いてくれ」「すいませんビールおかわり。生で」と好き勝手に喋るわ喋る。なんか相変わらずなんだな、と私もちょっとほっとした。 久しぶりに会ったから上手く会話ができないんじゃないかと不安に思った時期も私にはありました。というかついさっきまでそう思っていた。しかし酒が入っていたからか元々そんな気を遣うような相手ではないからかよくわからないが、話題は尽きることなく私たちは騒ぎ続けた。 その話題の一つにマツバの女性関係についても含まれていた。結構派手に動いているから私も何を思ってそう行動しているのか下世話ながらも興味があったしミナキのいつ終わるかも分からないスイクン語りを終わらせたかったのもある。しかしあまり触れられたくない話題だったのだろうか、マツバはあろうことか私の恋愛事情に話題をすり替えてきた。わ、私がそういうのとは最近縁がないこと分かってるくせに! 「あんたみたいにとっかえひっかえじゃなくって堅実に付き合うスタイルなの!」 「堅実ねえ、ただ単にそれを言い訳にしてるだけじゃないのか」 カチンときた。アルコールの力も借りていつもより強気な態度でマツバに向かって叫ぶ。 「私はあんたとは違うの! ふらふらふらふらとメノクラゲかっ。愛想を振りまいてるだけのあんたに一番似合わない、本物の愛を私は見つけてみせるから!」 「本物の愛を?」 「愛を!!」 売り言葉に買い言葉というか自分でも何を言っているのか分からないうちに高らかに宣言してしまいマツバは鼻で笑いながらもなにやら思案顔で酒をちびちびと飲み私がそれに意識を向ける前にミナキが「君みたいなバリバリ働く女性に男は近寄りがたいからな……そういえば本物の愛と言えば私のスイクンに向ける愛というのは……」と語りだしたので私は話半分に適当にうんうんうなずいていたらさっき何の話をしていたかもう忘れてしまった。アルコールが回って気持ちいい……でも思考がまとまらない……。あー、もう駄目だ。 「ね、眠い……」 「おいここで寝ないでくれよ」 「それでそのときのスイクンは……、っともうこんな時間か。彼女もそんな様子だし、今日はもう解散した方がいいな」 「……」 「おい起きろ。……しょうがない、僕が送って行くしかないか」 「大丈夫か?」 「平気さ。それじゃあねミナキ君、今日は楽しかったよ」 「じゃあまたな。送り狼になるなよ――って君たちに限ってそんなことは起きないか」 マツバとミナキがなにか楽しそうに笑っていることは分かったけれど何を話しているのかまでは聞き取れなかった。私はアルコールを入れるとたまに眠くなるタイプだから外で飲むときは気を付けているつもりだったけれど今日は羽目を外してしまったっぽい。疲れていたのも原因の一つだと思う。半分以上夢の世界に足を突っ込んでる状態でマツバに半分以上引きずられるように歩いている。その度にマツバにちゃんと歩け、や、楽しようとして寝たふりをしてるんじゃないだろうなと言われたが半分寝ぼけている私はうーとかあーとか言葉になっていない唸り声をあげて反応していた。 途中で面倒くさくなったのか、私は急に浮遊感を感じて薄っすらと目を開けるとエンジュの町が下に見えて、私たちはフライゴンに乗っているのだと分かった。いろんな場所を飛び回る仕事をしている私の頼りになる相棒だ。マツバは私を抱きかかえるようにしているから背中はあったかいしアルコールで熱くなった体に夜風は気持ちいいしで眠気にも拍車がかかる。なんだかんだ言って面倒見がいいんだよねマツバ……と変わらない部分を見つけて嬉しくなる。 そうこうしている内に私の住むアパートに到着したらしく、私はフライゴンから降ろされる感覚で少しだけ目が覚めた。といっても瞼は完全に閉じてしまっていて体に力も入っていないからマツバは完全に寝てしまったものだと思ったのだろう、すぐ後に鍵の開ける音が聞こえたのでドアのすぐ前で降りていたらしい。流石に力の入ってない人間を抱えて歩くのはきついしね……。 部屋の中では流石に引きずられた。ベッドのある場所までくるとそこに乱暴に投げられる。なんて男だ。ふう、とマツバは疲れた様に溜息を吐いたのを聞いて文句を言える立場ではないことを理解する。ベッドの柔らかさに私は安堵して意識を完全に手放そうとしたが、マツバの手が私の髪に触れている感覚があって目を開けようとしたとき、唇になにかが押し当てられた感触を感じた。なにかというのはマツバの……。 「じゃあおやすみ」 マツバは私に布団をかけて、ドアから出て行った。鍵をかける音と鍵を郵便受けに入れる音が聞こえて足音が遠ざかっていく。 「……………………」 ……………………。 「…………………………………………え?」 驚きで酔いが一気に醒めた。もう全然眠くない。――人間の身体って怖い。 私とマツバの関係というのは、幼馴染というには距離があり、ただの知り合いというには近すぎる、そんな関係だ。 出会いは10年以上前になる。 私は元々ホウエンの田舎に住んでいたが、親の仕事の都合でジョウトのエンジュに引っ越してきたのだ。私がこの町の人々のポケモン信仰に薄い壁を感じてしまうのはそういうことも要因なのだろう。私の住んでいたところではポケモンに関する神がかりな言い伝えや昔話はなかったし、むしろポケモンは身近であり手の届かない存在ではなかった。 話がずれたので戻すが、引っ越した家の近所にあったのがマツバの家であった。しかし別段私がアクティブに動き回り年の近いマツバと仲良くなったかと言えばそうではなく、むしろ私は新しい環境に慣れずにインドアでさえあった。仲の良くなったのは親同士だ。何度か私の家に来ていたのを覚えているが、私は人見知りだったので一回挨拶をしたきり親同士の輪に入ることは無かった。大人同士の会話に子供が入れないというのもあったしね。私と同じくらいの子供がいるということも親から聞いてはいたが、私はあまり関心がなく会うこともなかった。たまにマツバも私の家に来ていたらしく親に一緒に遊びなさいとも言われていたが、私はことごとく逃げていた。大人というのは子供同士ならばすぐに仲良くなると勘違いをしているのだ。 そうやって部屋にこもりきりな私とマツバがどう出会ったのだと聞かれると、恐らくここに来るたびにつまらない思いをしていただろうマツバの手持ちのゴースが私の部屋に飛び込んできたのが出会いになる。 第一印象は死ぬほど驚いた、その一言に尽きる。とりあえずそれからつかず離れずな距離でお互いに接し始め、私の部屋がマツバが親に連れられてきたときの避難場所になった。親たちが話しているのをただ聞いて待っているのは辛いというのは私も分かっていたので同情をしたというのもある。マツバは思えば小さなころからどこか影のある少年だったように思う。静かに私の部屋で本を読んでぽつぽつとしか会話をしていなかったからそう思うのかもしれない。どちらかと言うとマツバよりもゴースと仲良くなった。 それからは時折、マツバはゴースを連れて私のところへ来てくれていた。修行の合間にも大人の目を盗んでベランダから私の部屋に休憩に来ていたり、そんな関係だった。 特に仲が良かったわけではない。しかしそれが離れる理由にはならなかった。成長して、私たちは色々と変わってしまった。私はマツバが怖いしマツバは何を考えてるか分からない。でもこの距離感だけはずっと変わらない、そう思っていた。 なんだか会いにくいなあ、でも一応話はしておかなければなあ。と、そんな積極的とは言えない気分でマツバに先の行動の意味を聞こうと思っていた私だが精神的消極さが行動にも出てしまったのだろう、もだもだと何日も会いに行かない日が続いたけれどもそれは許されなかったらしい。仕事の帰り道のジムの前でちょうど出てきたばかりのマツバと目が合った。結構距離があったのに。ちなみに彼女も一緒である。 「やあ、今帰り?」 「ええ。そっちも?」 声をかけられたら返さないわけにもいかない。彼女がいるからスルーされるかなと思っていたけどその辺マツバは適当みたいだった。 「ごめん、今日は帰ってくれるかな」 「え……」 一瞬私に言ったのかと思ったけれどもそれでは会話の流れがおかしくなる。ということは必然的にそのマツバの言葉はマツバの横で私のことをあまり好意的ではない視線で見つめていた彼女へと向けられたものであり、呆けたようなしかし悲痛さを伴ったような「え……」はその彼女が言ったものである。ちなみに私は心の中で「は?!」と叫んでいた。 彼女はなにやら物言いたげにマツバを見つめて、しかしそれが意味の無いものだとマツバの笑顔を見て悟り私を思い切り睨みつけて走って去って行った。……マツバがすぐに恋人と別れる理由が分かったような気もする。状況や程度の差はあれたぶんいつもこんな態度なんだろうなあ……。 「酷い男」 「ん?」 「なんでもない」 自覚がないところも酷い。もしかしたら自覚はあるのかもしれないが、それを考えると怖いことになりそうなのでやめておく。 「少し話していくか?」 「彼女追い返しておいてそう言うんだ?」 「意地悪言うなよ」 確かに意地悪だった。正直に言って逃げたいと思ってたから。心の準備が出来ていないのにマツバと二人きりになるという状況に戸惑ってしまったのだ。それに逃げにくい状況であることも逃げたい気持ちに拍車をかけている。全部確信犯だったらどうしよう。 立ち話も何だしどこかに入ろうか。そう言われて私たちはよく行く居酒屋へと足を入れた。なんだか鬼門のような気もしたが、飲みすぎなければ大丈夫。と自分に自己暗示をかけた。アルコールが入った方がきっと円滑に進むだろうという目論見もある。アルコールは人をやや開放的にさせるのだ。そのことが原因で今私は悩んでいるという事実は今は見ないでおく。 「今日挑戦者来てたでしょ。勝ったの?」 「勝ったよ」 「最近なんだか修行きつくしてるって聞いたんだけど、なんで?」 マツバは少し前、久しぶりに挑戦してきたトレーナーに負けた。悔しかったんだろうな、きっと。表面上は飄々としていても影で努力をするタイプの人間なのだ、マツバは。分かっていて聞くのは酷かなと思ったが、本題に入るための肩慣らしというか、クッションというか……。しばらく取り留めのない話題で間を持たせたが、そろそろ限界だったので覚悟を決めて口を開く。 「なんで、キスしたの」 いつ言おうかずっとタイミングを探していたが、アルコールの力もあってか言うときは意外にすんなりと言葉が出た。マツバは少し黙ってから酔ってるにしてははっきりとした口調で私の問いに答えた。 「……したかったからだよ。寝てるから大丈夫だと思ったけど、悪いことするとばれるものだね」 仮にも修験者が言う言葉ではない。というか彼女いるじゃん。しちゃダメなことだってことも分かってるじゃないか。 それでもマツバは言葉とは裏腹に全然悪いことをしたという態度ではなくむしろ堂々としていて、吹っ切れた、というのだろうか? 物怖じせずに私の目を見てくるものだから私の方が負けて目を逸らしてしまう。負けたって、何に負けたんだろう。 マツバが笑ったような気配がした。 「不思議とね、付き合ってる彼女たちとはそういうことをしたいと思わないんだ」 「は? それじゃあ付き合って何をするのよ」 「僕はしたいと思わなくても、彼女たちはしたいらしいから僕はそれに応えてるだけさ。別れる原因ってそれなんだよね、私に魅力がないから、私のことを好きじゃないから手を出してくれないの? って。求められれば応えてるのに、酷い言われようだと思わないか?」 「酷いのはどっちよ……、とんだ悪党よあんた。いつか刺されても知らないんだから」 「この目の物珍しさに寄ってきてるだけさ。それを抜いた僕自身を見てはいないよ」 「……自虐的すぎじゃない?」 「有名になりすぎたんだ。僕の能力も僕の目的も」 外見が良いというのは基本的なところとして、常人は持っていない能力を持ち、この町と縁深いホウオウを求めて修行を積むジムリーダー。まあ言いよるだろうね。私の場合は贅沢な話だけど昔から近くにいるせいであまり外見だけでは惹かれないってのと中身を知ってるから、近すぎたら恋愛対象にならないっていうあれだ。マツバだって私には何にも思っていない。……はずだったんだけどなあ。 「僕に言い寄ってくる子はたくさんいたんだ。その中からに似た子を探すのは簡単だった。共通点が一つでもあれば、君だと錯覚できた」 「しかし流石にそれじゃあ怪しまれるとも思ってね、たまに好みから外した子とも付き合ってみたんだ」 「ただ単に全然違うタイプの子の良さを見つけることで、が僕にとってのタイプじゃないと自分を納得させようとも思ってたんだ」 「流石にずっと僕の傍に来ないだろう女性を追い続けても疲れると思ってね」 「でも駄目だった。どうしても他の女性にの影を追う。違うところを見つける度にがっかりした」 「全然疲れない。君の姿を目で追う度に生きようという気持ちになるんだ。こんな気持ち、ホウオウを追っているとき以外に感じたことが無い」 酔ってる。マツバは酔ってる。だからこんな心にもないことをペラペラと言えるんだ。いつものマツバだったらこんなこと言わない。私に異性を感じさせるような態度を取らない。ただの腐れ縁でここまでの付き合いがあったんだって、そういう態度で接してくるのに。 衝撃的な告白に私は混乱する。変えないでよ。やめてよそんなこと言うの。私はマツバがなにを考えてるか分からなくて怖いというところもあったんだ。私はマツバが怖いんだ。だからこんなに近くにいてはいけない。 「、何を怖がっているんだ。なにも怖いことなんてないはずだろう」 私はまた目を逸らした。負けるのだ、マツバの目には。マツバの奥底にある暗くてどろどろした黒い光に。 ワカバタウンのトレーナーがホウオウを捕まえた。一時期エンジュはその噂で持ちきりになったし、舞妓をしている友達に聞いたが確からしい。 私といえば、その時期ちょうど違う地方へ行っていたので後で聞いた話だ。なので鈴の搭に舞い降りたというホウオウを見ることはできなかった。マツバが人生をかけて執心していたホウオウを実際に見るチャンスをみすみす逃してしまったことに間の悪さを感じたし、それでなくとも子供のころから聞かされてきた伝説のポケモンは遠目でも見たかった。しかし、この話を聞いて一番最初に頭に思い浮かんだのがマツバの顔だ。大丈夫なのか、あいつ。 「なあ、僕のこと好きだろ?」 「自意識過剰よ」 切り捨てた。自意識過剰も甚だしい。少し自分がもてるからって世の中の女が全員自分のことが好きなんだと勘違いしてるんじゃないだろうか。マツバはおかしいな、と呟いてボールの手入れを再開する。そんな思い出したように、物のついでのように聞かれてはいそうですと答える奴がいるのだろうか。……うーんマツバのファンの子なら答えそうだな……いやでもマツバは自分からはアタックしない男なんだっけ。ならこれはなんなんだ? 私は押せば落ちる女とでも思われているんだろうか。 この前マツバから告白を受けて、私はどんな反応を返したかと言うと、逃げた。実際にマツバの目から視線をそらしたついでに話題も逸らした。敵前逃亡である。いや戦略的撤退ということにしておく。やっぱりというか結構マツバは酔っていたので比較的簡単な作業ではあったけれども、正直私の心臓は今にも壊れるのではないかというほど高なっていた。理由は分からない。 マツバは恋人と別れたらしい。いつもだったら別れたという噂が流れればすぐに違う女の子がアタック→OKという流れだったから今回もその通りでいくのだろうな、と思っていたがそうではなかったらしい。なんでもマツバは今までの来る者拒まずのスタイルを変え、言いよって来た子全てを断っているらしい。 「どんな心境の変化よ……」 ゲンガーと一緒にボール遊びをしながら独りごちた。なんと言いますか、その原因というか理由というか、想像がつくようなつきたくないようなという感じではある。3つ一気に投げてそこにシャドーボール、最後の1個にきあいだま、――決まった。 いえーいとポーズを決めたゲンガーに拍手を送って、私はマツバの近くに寄って行った。マツバと背中合わせにして座っていたヤミラミがどいてくれる。……私別にそこに座りたかったわけじゃないんだけど、でも折角好意でどいてくれたんだしまあいっか。と私はマツバに背中を預けるようにして床に座った。マツバは私に体重を預けてくる。……逃げにくくなった。 少し心配してジムに寄ってみたのだけれど、あんまり落ち込んでるわけじゃないのかな。いやでもいつもと比べたらテンションが低いし、女の子からの誘いを断るようになったし私に告白なんてするし。あれ、これはもっと前だっけ。 「ねえマツバ、何を考えているの?」 「本物の愛について」 本物の愛ときたか。……なんだかつい最近聞いたようなフレーズだ。あれ、どこでだっけ……。 「何、彼女作らなくなったのってその所為?」 「うんまあね。僕にそれを作れるんだろうかって」 「ふうん……馬鹿みたいに簡単に振りまいてきたツケでも回って来たの? そんなこと考えるなんてびっくりした」 だって本物の愛って、青春真っ盛りの少年少女が求めそうなものだ。そう素直な感想を伝えると、背中合わせなので正確な動作は分からなかったがマツバは振り向いたような仕草をして恐る恐るといったふうに聞いてきた。 「覚えてないのか?」 「え?」 何を? と聞き返したらマツバは少し固まった後に盛大に溜息を吐き、だからお前が嫌いなんだと小さな声で呟いた。えっ何この理不尽な言われよう。 「悩んだことが馬鹿馬鹿しくさえ思えてくるな。本物の馬鹿に振り回されるこちらの気持ちも考えて物を言ってくれよ」 「なんなのよ!」 なんで行き成りこんな怒られなければならないんだ! これじゃあまるで私がその本物の愛とやらを求めていてマツバがそれに応えようとしてくれていたみたいな言い方じゃないか! あっちょっゲンガー今は大事な話をしてるからっふわふわひんやりしてて気持ちいいのは分かったからっはなれてっ! と、ゲンガーに抱きつかれてあわあわしていた私を見かねたのかマツバは何も言わずにゲンガーをボールに戻す。……あーあ、そんなことして絶対後で拗ねるな。となんだか怒りを挫かれたような微妙な気分で私たちは黙り込んだ。 マツバは私が好きだと言った。それも結構前からというような口ぶりだった。でも距離を感じていたのは私だけではなくマツバも同じだったらしく、頭が切れる故にネガティブ方向へと思考が進んでいき私が振り向くはずがないと思い込み他の女の子で気を紛らわそうとしていた。これを聞くとなんとなくマツバは最低男のようにも聞こえるが私にも責任がある。マツバが私に拒絶されていると感じていたのは、私がマツバのことを怖がっていたからだろう。その態度がマツバを苛立たせて負のスパイラスを作りだした。私が怖かったのはマツバの瞳だ。暗いのに熱を孕んでいるその瞳が深淵を覗いているようで怖かった。それに見つめられると、全てを見透かれそうで――。 「好きだよ」 「……」 「好きだ」 「……知ってる」 なにが私を頑なにさせているんだろう。 私がマツバが怖いと言うと、だれひとりとしてそれに同意してくれる人はいない。 「怖い? そうなのか? いやだって君、きみいつも彼のことすっごく物欲しそうな目で見てるじゃないか」 しかし今回は意味合いが違った。今までだと ”マツバに対するイメージ” の受け取り方の違いを指摘されていたけれど、今回は ”私のマツバに対する気持ち” を否定されてしまった。 というかこれがなかなかに衝撃的な言葉で私はうっかりと口に含んでいたビールを噴きだした。物欲しそうだって!? 自分ではそんなつもりは全然なかったし、周りの人間全員からそんな風に見えていたかと思うと全力で穴を掘って埋まりたい気分だ。一気に酔いも覚めた。つい先ほどまでマツバは変わりないように見えてやっぱりちょっと落ち込んでるみたいだから遠くからでもいいから支えていこうねでもマツバ自身の問題だから見守るところは見守ろうね、みたいな話をしていたはずなのになんでこうなった! いや私のパスがこの結果を招いたということは分かっているこれが墓穴を掘るということか!? 「あれは君にとっては怖がっていたのか? しかし畏怖とはまた違った意味合いを含んでいるように見えたから、てっきり君は彼をもがふがが」 なんだか恐ろしいことを言われそうな気がしたので私は慌ててテーブルを越えてミナキの口を塞ぐべく両手を押し当てた。勢いがありすぎて後ろの壁に頭をぶつけさせてしまったが事故なのでしょうがない。というか、私が? マツバを? 口を塞いだと言ってもその先に続くであろう言葉は容易に想像ができた。出来てしまったので頭の中はそのことでいっぱいになる。 「ぷはあ! い、行き成りなにをする!」 「そっちこそ行き成り何を言う!」 「違うと言うのか? あの瞳、あの熱情、まさしく私のスイクンに贈る敬愛に近いものを感じて私は嬉しく思ったものなのだよ」 私はミナキのこのスイクンに向ける情熱は相手がまだポケモンであったから大事には至っていないだけで既に異常レベルだと認識をしていたのである。そしてまさかのお仲間宣言に私は涙が出そうだった。周りから見た私はマツバのストーカーだったんだ……もう生きていけない……。 酔いが一気に醒めた……。帰ろう……。何かのスイッチが入ってしまったミナキのスイクンマシンガントークを受け流しながらお金を置いて席を立った。 怖かったんじゃない、私はあの目に恋い焦がれていたんだ。 癪ではあるがミナキの言う通りであったらしい。彼の言葉を聞いて今までかかっていたフェルターが全て取り払われてしまった。原因が分かってしまえば私の長年の悩みも一気に馬鹿馬鹿しく、そして陳腐になる。私がマツバを怖いと思っていたのは、そのマツバの目に映る私の姿を見たくなかったからだ。ずっと隠してきた本当の私を暴かれたくなかった。 マツバの瞳にはいつも暗い光があった。ホウオウのために修行をして、いつか会える日を夢見てたマツバ。傍目には熱心な僧に見えたみたいだけれども、私から言わせればあれは一種のノイローゼだ。強迫観念だ。妄執だ。自分にはその道しかないと決めつけて、それ以外を見ようともしなかった。年を重ねるごとにその思いは強くなっていたように見える。 マツバは基本的に、執念深いところがある。私の勝手な価値観だけれども、昔からゴーストタイプを好んでいたのもそのイメージに重なったのだろう。それに私がなにかに執着できない性格だったのも理由の一つだ。羨ましかったのだ。ずっと昔からなにかに入れ込んでいる姿が。モチベーションが。好きだったのだ。そんなマツバが。ずっと一つだけを見つめるその仄暗い瞳が。 そして私はそのマツバの瞳に欲情をしていた。本能で求めていた。きっと初めてマツバの暗闇を見た時から、ずっと。 だから私だけを見てほしかった。 本当に矛盾ばかりの笑い話だ。この私の気持ちは独占欲とも、先ほど笑い飛ばした妄執にも似ている。みんなに見せる人当たりのいい顔なんて私に見せなくてもいい。私だけが知っているマツバの悪戯そうな顔やいやらしい顔、不機嫌を隠そうともしない顔、――私を求める顔。それが欲しくて欲しくてたまらなかったんだ。 そしてホウオウがマツバの目標でなくなった今、以前マツバから求められた時以上にマツバの瞳は私の方を向くだろう。私を代用とする気持ちが上乗せさせるだろうことは分かっているし、それが嫌でない自分がいる。 自覚なんてしたくなかった。認めたくないから私は散々理由を付けてマツバから離れようとしていたのに。視線を合わせなかったのに。私の中にこんなにも醜くて本能的で独占的な気持ちがあること知りたくなかった。それをマツバに知られたら、嫌われると思ってた。私に厳しいのがマツバだったから。 だけどマツバに好きだと言われて混乱をした。私が求めてやまなかった瞳が私だけに向く。その事実が現実味がなくって夢を見ているようにしか受け取れなかったから私はあんなにも拒否をしてしまったのだと思う。実際に求めているものが目の前に行き成り来たら、怯むというか……ただ単に私が臆病者だったというだけの話なのだろうけど。今まで抱いていたイメージのマツバと、私が知らなかったマツバのギャップが激しかったのだ。求められたいのに認めたくないなんてとんでもない我儘だ。 「……不法侵入」 「鍵開いてたからね」 理由になってない。家に帰ると電気が点いていて、案の定そこにいたのはマツバだった。なんにも悪びれない様子でお茶を飲んでいる。私の隠していたハッピーターンも食べている。お気に入りのクッションを弄んでいる。後で見ようと思っていたお笑い番組のDVDを見ている。ちょっとは遠慮しろよ! 数日前にマツバの話を拒絶した手前、私から会いに行くのは憚られて会っていなかった。それはあちらも同じことだろうと思っていたのだけれどもそういうわけでもなかったらしい。人の家で好き勝手しているマツバに突っ込みを入れはしたが、正直なにを話せばいいか分からない。マツバがあのとき私に言ったことはどんぴしゃりだったわけだ。自分の気持ちを自覚してしまった手前、正直悪いことをしてしまったとさえ思っているのだ。 「鍵、僕のために開けておいてくれたんだろう?」 「……違う」 本当に、今日はたまたま窓の鍵を閉めるのを忘れていただけで、他意はない。 「が昔からそうやって育てられたこと僕は知ってるんだ。僕が窓から遊びに来た時ようやく開けてくれて」 私は母親から防犯をしっかりしろと教えられてきた。いままで一度だって部屋の鍵、窓の鍵を閉め忘れたことなんてない。 「待ってた? 僕が来るの。いつから鍵を開けっ放しにしていたのさ」 最後に閉めたのは、洗濯物を取り込んだときだ。そしてその夜にマツバと会った。もしかしたら今夜私を詰りに会いに来てくれるかもと期待して窓を開けた。あれから何日経った? いつもと違うことをしていて眠りが浅かったのでここ数日は寝た気がしなかった。ならどうして鍵を閉めなかった? ……言い訳が、出来ない。 「マ、マツバ……」 変なことを口走りそうだ。嫌だ、私の嫌なところ、いやらしいところを見られたくない。マツバ、マツバ、マツバ……。目を一瞬見てしまう。マツバが欲しいよぉ。 私がよほど物欲しそうな顔をしていたのかマツバはわかっていると言わんばかりの自然な動作で私に唇を重ねる。私はここで抵抗をするべきだ。そうしないとマツバの言う通り、私がマツバを待っていてキスをしてほしいと強請ったことになる。でも、私の意思とは反対に私の腕はマツバに絡みつきもっともっとと密着する。 「、僕の目を見てくれ、なあ。僕の目を見るの表情、すごく堪らないんだ。だから、キス以上のことしてもいいだろ?」 ――本物の愛が生まれるかもしれないしね? ゴボリ、と黒い光が漏れだしたように見えて、マツバの瞳から目が離せなくなる。その瞳に映る私の姿と言ったら! |