後ろから誰かがついてきている。自意識過剰かとも思ったが、先ほどから気になっていた。こんなことならアイスが食べたいとか思わずに家でおとなしくしておくんだったと軽く後悔をしながらも、でもポケモン連れてきてるもんね、と腰に付けたボールを手にする。
 ……ポケモンが入っていない。
 ぬああああ! と心が血しぶきを上げたような気がした。なんで!? だって私ちゃんとあの子が入ったボールをつかんだはずなのに! よく思い返してみれば、今日新しく買ったボールを袋から出してそこらへんに散らかしていたような気もする。そしてその近くにポケモンの入ったボールを置いていた覚えも。
 馬鹿だ! そう思いつつ若干歩く速さを速めた。すると後ろからついてきている人間も足を速めたような気がする。ぎゃああと心の中で叫びつつもこの辺りには家もちらほらあるし叫んで抵抗すれば最悪な事態にはならないと信じている。信じたい。もう少しで家だ! と若干の気の緩みがあったのだろう、少しだけ足を緩めてしまった。緩めてしまったということはつけてきている人物との距離が縮まったということだ。
 なんだかすぐ近くに気配が感じるような気がする!? と今度は走ろうとするといつの間にそんなに近くまで接近していたのだろう、行き成り後ろから抱きつかれて胸を両手で掴まれた。

「ひっああっ!? なになになにっなにすんだこの野郎っっっ!!!

 火事場の馬鹿力とでもいうのだろうか、普段は身体の奥底に眠っていた力があふれ出したのと同時に、以前見たことがあるインターネットから得た知識が頭の中を鮮やかに駆け巡り火を噴いた。
 一本背負いから始まり逃げようとした男への容赦の無い手刀金的眼潰しと正式な試合の場であったならば一発退場ものの卑怯技のオンパレードがかくとうタイプも真っ青な切れ味で繰り出された。以前見た知識というのは決して柔道の専門知識を扱っているものなどではなく、裸の兄貴たちが戯れながらプロレス技をかけあっているというもので、ネタとして見ていたのだが存外の心の中に深くインプットされていたらしい。兄貴たちの応援を受けながらも見事な回し蹴りでフィニッシュ。試合終了の鐘がの中で響き渡った。
 そして最後に「私は痴漢をしました」という張り紙を目を回して伸びている変態に貼り付けて、逃げだせないように近くの木に縛り付けた。きっと明日の朝にでも誰がが見つけて警察へ通報してくれることだろう。
 肩で息をして最近肌寒くなってきたにも関わらず滲んできた汗をぬぐったところで遅れて恐怖心が背筋を上って来た。縛ったはいいけれど、行き成り目を覚まして縛ったスカーフを引きちぎりまた襲ってきたらどうすればいいんだろうか。さっきは火事場の馬鹿力のようなもので撃退できたけれど、今は正直自信がない。
 急激にこみ上げてきた恐怖心に後押しされるように先ほどの攻防で散らばってしまったバッグの中身を拾い集め、急いでその場から離れることにした。少し震える手で携帯を探し当て、履歴からある一人の名前を見つけてコールする。夜遅くだったこともあって中々相手が出ず、泣きそうな気持ちになりがならもコール音を聞きつつ速足で歩く。そうしていると前方への注意力が散漫していたこともあり建物の角を曲がったところで人にぶつかった。

「ひゃあ!?」
「うわ!?」

 油断していたのも相まって思い切り尻もちをついてしまい、つい大声を出してしまった。しかしの意識に入って来たのはぶつけた場所の痛みでもなく反動で落としてしまった携帯でもない、ぶつかった相手の声が男性のものだったということだ。先ほどの出来事が頭の中にフラッシュバックし、は軽くパニックになって這うようにその場から逃げだそうとした。

「お、おい」
「いやぁっ!」

 が、何故かその相手に腕を掴まれ、今度こそもうダメなのか!? そんな馬鹿なことが起こってたまるか! と思い切り腕や足をばたつかせた。相手が何かを言っているとは分かっていたが、パニックになった頭ではその言葉は意味をなさない。何度かの手や足が相手の身体にヒットしつつも腕を放してくれない相手には泣きそうな状態になって抵抗する。もう片方の腕が掴まれて絶体絶命なのか!? と思ったところでようやく相手の言葉がの耳に届いた。

! 落ち着け!」
「っ、うぇ?」
「おい、大丈夫か。どうした、何をそんなに怯えている」

 自分の名前を呼ばれ、ようやく意識を相手に向けることができた。視線を向けた先にいたのは一番今会いたかった相手。そして先ほどからコールをしてもなかなか出なかった男だ。はなんでこんなところにこの男がいるんだとか、でも会えてすごくうれしいとか、顔を見たら一気に安心して力が抜けたとか、いろんな思いがぐちゃぐちゃに交じり合いながら幼馴染に大きな声で叫んだ。

「ギーマっ! なん、な、なんで電話でないのさぁっ!!」





「ううっ、ぐすっ」
「よしよし、泣くな。もう怖くないだろう?」

 あの後の乱れた格好を見て(単にが暴れて乱れただけだが)なにかあったのではないかと心配したギーマに連れられて、はギーマの家で宥められていた。とギーマの家はすぐ近くであったのだが、あの場所からではギーマの家のほうが近いということもあり連れて来たのだ。ギーマの姿を見て安心したのか、はあれからずっと泣きっぱなしだったが、その合い間合い間に話を聞いてギーマは何が起きたのかを理解した。とりあえずは怪我もなく、大きな事態にならなかったことを安心したが、それでもにとってはショッキングな出来事であり、心の傷も大きいだろう。そう思ってギーマは抱きついてきたをそのままにさせつつも、背中をぽんぽんと叩いて宥めていた。

「ギ……ギーマ」
「ん?」
「私の胸揉んでよぉっ」
「………………ん?」
「うわああんだから私の胸揉んでよ!」
「何がどうなってそうなった!?」

 バリっ! と音がしそうなほど勢いよくギーマがから身体を離してそう叫んだ。昔からの思考はぶっ飛んでいることがあったが、それは成長した今になっても健在のようだ。

「だっだってだって! あんな、誰か分からない男にもまれてっ、私そんなの嫌だもんっ! ギーマが上書きしてよおっ!」
「上書きって……レポートとかじゃないんだぞっ?」
「うるさいっ、早くしてよ!」

 そういってギーマの手を無理やり掴んで自分の胸に押し付けようとする姿を見てギーマは慌てて手を自分側に引っこめた。だがそれでもはギーマの手を掴んだまま、不満そうにもう一度自分の側へと引っ張る。

「なんでっ!? 可愛い幼馴染を助けると思ってよ!」
「お前を可愛い幼馴染だなんて思ったことなんてないさ! 精々手のかかる子供だ!」
「そんなこと思ってたの!? なら子供の我儘だと思って付き合ってよ!」
「中身は子供だが見た目はもう大人だろう! 不味いだろこれは!」
「不味くないもん! 私がそうしてほしいんだよ!」
「一回落ち着け! お前は今パニックになって正常な判断ができずにいるんだ。……シャワーを浴びて来い、記憶も一緒に洗い流してくるんだ」
「そ、そんなの無理だよ……、私がどれだけ、怖い思いをしたと……」
「……いや、すまない。不安なんだろうが、だがもう危険が無いことを分かってほしい」
「分かってるよ! ギーマは四天王にまでなっちゃうくらいすごいトレーナーだし、そんなギーマといれば安心できるもん! でも私が言いたいのはそういうことじゃなくって、まだ私の身体を何かが這ってるような、そんな気持ち悪さが残ってるってことなんだよっ!」

 泣きそうなの表情にひるんでギーマの腕の力が抜けた。そして手のひらにやわらかい感触。

「……シュールが過ぎるだろう」
「第一声がそれ!?」
「なんて言えばいいんだ。……こんな、今まで女として見てなかったやつの胸を鷲掴みにさせられて」
「やわらかくて掴み心地がいいねくらい言えばいいじゃないか!」
「形はいいと思う」
「ふおぁっ!?」

 諦めたような表情をしてギーマが手を動かした。ここまでしているんだから少しくらい揉んだって罰は当たらないだろうと思ったが故の行動だったが、にとっては予想外だったらしい。自分から揉めと言ったくせに実際に揉んだらソファーから落ちるくらい動揺した。

「……動揺するくらいならしないでくれよ」
「うっさい馬鹿! ちょ、お、起こして」
「はいはいお姫様」
「うう……惨め……」

 手を掴んでもう一度ソファーの上に戻ると、ギーマがを後ろから抱き抱えるような体制になるようはギーマの上に乗った。おい、と少し身じろぐギーマを無視してはギーマの腕を自分に回した。

「……何故だ」
「だから、何回言わせる気。上書きして欲しいんだって」
「さっきは転がり落ちた癖に」
「あれは……ちょっとびっくりしただけ。ねえ、お願いだよ。こんなこと頼めるのギーマしかいない」
「それは今ここに私しかいないからだろう」
「……い、言いつつちゃんとやってくれるんだね……、んっ」
「ま、可愛い幼馴染の頼みごとだからな、叶えてやるさ」

 もうこうなったらやるまで言い続けるのだろうな、ということが今までのやりとりで分かったし、他の奴に頼まれるくらいなら自分がやったほうがマシだと考えたので要望通り二つの膨らみを優しく揉む。すると先ほどまでやかましかったのが嘘のようにの口数は少なくなり、身体を縮めたを見てなんだか妙な気持ちになってくる。のことだからこうやっている内も茶化して来たりぎゃーぎゃー言ってきたりするものだと思っていたが、先ほど動揺したように心の準備が完全に出来ていなかったのかもしれない。

「う、あっ、あの、なんかすごい手つきがいやらしい……」
「いやらしいことをしてるんだから当然だろう」
「うう……気持ちがいいのが悔しい……っ、あぅ、も、もういいよ」
「聞こえないな」
「うぇっ!? も、もういいってば! 上書き終了!」
「いや、もう少し丹念にしたほうがいいと思う」
「ぬあああっ、流石に生はだめええ」

 流石に空気がおかしいことになっていることに気付いたのか慌てたがギーマの手を掴んで後ろを振り向こうとしたが、その前にギーマが体勢を自ら崩し、ソファーに倒れこむようにを押し倒した。

「な、なに!? なんでちょっと怒ってんの!?」
「怒ってなんていない、少し呆れているだけだ」

 焦って抗議をしようとするを押さえ付け、自分の着ていたシャツのボタンをはずしていく。それを見たが息をのむのが見えたが、構わずにの着ている服にも手をかける。

「わっ、わぁ!? ギーマ、ストップストップ!」
「お前は私だけの幼馴染だ。他の男が触るなんて許せない。全部上書きしてやるよ」
「意味分かんない! さっきまでそんなこと一言も言ってなかった!」
「うるさいな、今気付いたんだ」

 まだなにかを言おうとしているの口を塞ぐ。それでも何かを言おうとするように口を開くが、そのまま舌を侵入させた。くぐもったの声を聞きながら、ギーマは初めての唇の柔らかさに気付いた。







ギーマの独白
 ギーマはとの付き合いは長いが、こんな事態になるなんて考えたこともなかった。年頃になったら一旦距離を置いたこともあるが、それでも友達として一緒にいて心地が良い相手だったから自然とまた一緒にいるようになった。他の奴らに二人は付き合ってるのかと聞かれてもは笑いながら否定していたし、ギーマだって同じ反応を返しただろう。お互いにそういう関係になることにタブーを感じていたのかもしれない。それで今まで付き合ってこられたんだし、これからもそうだと思っていた。が望んだことだとは口が裂けても言えないが、こんな壁の消え方は想像していなかった。

 そしてはギーマの前から姿を消した。





「あらら、知ってるギーマ君。なんか君の家の近くで変質者が出たらしいですよ」
「ふうん……興味ないな」

 目の前のソファーでで新聞を広げて読んでいた女がギーマに話しかけるが、ギーマはいつもの三倍は気だるげに返事を返す。ギーマがどんな態度であろうと目の前の女、同じリーグの四天王をしているシキミという女はお構いなしに話しかけてくるのでギーマは気遣いなどしない。

「なんでもボコボコにされて木に繋がれてたらしいんだけれど、その繋がれてた人ってがいろんな痴漢とかストーカーとかやってた人らしくて、見つけた人が警察に連絡してそれが分かったんだって」
「へえ……」
「元気ないですね、何かありました?」
「別に、なにもないさ」
「なんにもなくはないでしょう。アナタ、それでバトルに影響が出たら四天王失格よ」

 そこでようやく同じ四天王の一人のカトレアが少し前からそこにいたことに気付いた。確かに集中力は欠けているな、と自覚するが、決してバトルには影響させないと誓える。仕事に私情は持ち込まない主義だからだ。どんなにプライベートで落ち込んでいたり散々な目に遭ったりしても、だ。

「君に言われたくないな……部屋にベッドまで持ち込んでいるくせに」
「わたくしは寝起きがいいから問題はありません」
「それなら私だって挑戦者が来れば感情を押し殺せる」
「……ふうん、まあ、アナタがそう言うのならそうなのでしょうね。でもそんなに落ち込んでいる姿を見るのは初めてだわ」
「私にだって色々あるのさ」

 よっぽどギーマの気落ちした姿が珍しかったのか、シキミとカトレアが顔を合わせて首をかしげた。それを見たギーマは余計に憂鬱な気分になりながらため息を吐いた。
 自分だってこれほどまでに気落ちするものだと思っていなかった。が姿を消すことは想像はしていたが、実際に朝目が覚めるとどこにも姿が無いというのは想像以上に落ち込むことだった。無理もないが。彼女はきっとあんなことは望んでいなかった。自分がタブーを犯したのだ。境界線を取り払ってしまった。
 あのときの自分は自分では気付けなかったが色々と内側に渦巻いていた。泣いているを見るのは久しぶりだった。が誰かに触られたのが許せなかった。彼女の横にいるのはずっと自分だったのに。それに間近でに触り、何かが切れた。そして起きるとがいない。自己嫌悪と後悔と、色々なものが混ざり合い、少し早くに出たときに見つけた例の痴漢に蹴りを入れたのは八つ当たりではないと自分では思っている。

「あとなんか気絶したときからだいぶ後に蹴られたような跡も残ってたんですって。最近怖いですね」






の告白
 四天王になっちゃって手の届かないところに行っちゃったと思ってたときもあった。でもそれは私が一方的にそう思い込んでいただけで、私自身が壁を作っていた。ギーマはなにも変わってなんていなかったのに。昔からかっこつけたがり屋なところがあったし、スリルのあることだって好きだった。何度私が巻き込まれて大人たちに一緒に叱られたことか。それが何故か”四天王”って肩書きがついただけで別の生き物になったみたいに思えてしまった。そんなことはない、ギーマはギーマだ。私の知っている、かっこつけで少し面倒くさがりや、でもその実面倒見がいい、そんな幼馴染。
 恋愛感情として好意を持っていたというわけではなかったはずだ。近くにいすぎて”男性”として見ていなかった。それは恐らくあちらだってそうだし、お互いに夢を見ていなかった。綺麗に言えば性を意識しない等身大の相手を見ていた。
 正直に言って、あのとき逃げだろうと思えばいつでも逃げることができた。それにギーマも逃げ道を作っていた。たぶんだけど、私が本気で嫌がればあいつは止まった。だけど私はそれをしなかった。これはつまり、どういうことか。

「私はギーマが好きだったんだろうか」
「……それを私に聞くのか?」

 家の前に誰かが座っているのが見えていた。たまに住所を特定してファンが押しかけてくるときがあるから、今回もその類だろうと思っていたが、そうではないらしい。何年も見てきたような、そんな見覚えのある女がそこには座っていた。
 ギーマは一瞬自分がどんな顔をしているのかを考えて、止めた。きっとろくでもないに違いない、これは賭けてもいい。
 女がこちらの存在に気付いた。膝を支えに肘をついていた体勢をやめて、まっすぐとこちらを見てくる。……少しはバツの悪そうな反応をすると思っていたが、やはり、いつまでもまっすぐだ。ギーマがひるんでしまうくらいに。

「行き成り消えてごめん」
「本当だ」
「自分探しの旅に出てたの」
「それで、答えは見つかったのか?」
「なんとかね」
「私にはそれを聞く権利があると思うんだが」
「私はギーマが好きだよ」

 きっぱりと言い切られた。こちらから催促をしたとは言え、ここまできっぱりと言われるとは思ってもみなかった。先ほどからギーマはの行動の予測がまるでつかない。よく考えるとがどんな行動をするかなんてすぐに分かるはずなのに、ことごとく外してしまう。ポーカーフェイスを装ってはいるが、存外に自分は緊張しているんだとようやく気付いた。

「何故私の前から姿を消した」
「だからごめんって」
「理由になってない」
「もしかして、怒ってる?」
「怒ってないと思ってたか?」
「関係を壊したことにちょっと怒ってるかなーとは思ってた」
「馬鹿な。最後の一線を越えたのは私だ」
「いやあ、ちょっと挑発しすぎたかなってあのあと冷静になって。いくら幼馴染でも胸はね、なかったね」
「それは確かに同意する。他の奴にやったら襲ってくれといっているようなものだぞ」
「それギーマが言っても説得力無い。私のこと好きだったの?」
「少なくとも、あの日までは唯の腐れ縁の近所の奴だと思ってたさ。そして今の私は今にもお前を抱きしめそうだ」
「友情的な意味で?」
「私が今までお前を抱きしめたことがあったか?」
「……あったよ。慰めてくれるときとか」
「まあ、あったな。じゃあこの抱きしめ方は?」

 そう言って一歩進んでを腕の中に収める。の頭を自分の肩に乗せるようにしてそっと抱きしめた。暫くじっとしていたがギーマの背中に恐る恐る手をまわした。

「……これは初めてだな」
「だろうな」

 どちらからというわけでもなく顔を寄せて、唇を合わせる。流石に恥ずかしかったのか、照れたようににが顔をそむけ、ギーマがそれを追った。

「……なんだか恥ずかしいな」
「まあ、今さらって感じもするしな」
「本当……ギーマの唇がこんなに冷たいって初めて知った」

 お前が熱いんだ、ということは、家に入って不意打ちでキスをしたときにでも言ってやろうとギーマはあくタイプ使いに相応しい悪そうな顔で考え て、ドアノブに手を伸ばす。






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